福島県 阿武隈高原 川内村のカフェ・ダノニーのブログ。東日本大震災で被災、原発事故により避難中。

川内村で震度5弱



関東、店長のいる鎌倉市ではまったく揺れを感じませんでした。震度1かどうか?



カテゴリ:店長の部屋 | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0)
オホホの罪
日本人のほほえみは、外国の人からみると「不可解」だと言われます。

「子どもが死んだんです」と、にこにこしながら話す母親。
戦争中、戦死した息子を人前でほめたたえ、「母は笑って・・・」といったところでしょうか。
人前で感情をあらわにしない、気持ちを秘めるという文化も、文化が異なれば、
「子どもが死んだのに笑うのか!」
心の病を疑われかねません。

意味もなく、交際上のおきまりのように笑う。
いままでは、ごくあたりまえのこととして「日本人の笑い」とつきあってきました。


震災後、ニュースやドキュメンタリー番組などで、これでもかといったように悲惨な現場映像が出されます。
「まぁ、家が、人が流されていく、ハハハハ」
「ホホホ、大変ですわねぇ、ホホホ」

いわば、あたりまえのように、おあいそうに、つけくわえられる笑い。
わたしには、どうしても許せなくなりました。

無意識に出ている笑い、悪気がないことはわかっています。
でも、被災して、いままで住んでいた地域を離れ、なじみのない土地で暮らしていると、この「笑い」というのにがまんできなくなる。

同じように、涙を流してなくというのにも抵抗があります。

昨年、避難してきている福島人として話をさせていただく機会がありましたが、そのときに、
「大変でしたね」と涙を流してくれた人もいて、
「ありがとうございます」とこたえながらも、
「自分のことでもないのに、よく、こんなに涙を流せるなぁ」って、心の中がどんどん冷えてしまって。

世の中をななめに見てしまいがちな私は、素直な優しい心を持っていないから、純粋な方と交流するのが苦手なだけかもしれませんが、
「同情するなら・・・・・」
何年か前のドラマのセリフ、ほんと、いまの気持ちにぴったり。
「そんなに簡単に同情しないでくれよ」って言いたくなります。


20歳の頃、私は新宿の裏にある小さな洋裁学校に通っていました。
高齢のおばあちゃん先生が、わずかな生徒を相手に個人レッスンしてくれるようなところです。身寄りがなく、ひとり暮らしをしている先生の楽しみは、中国残留孤児の肉親さがし。

あのころは、戦争末期に孤児になった方が肉親をさがして来日し、孤児になった状況や再開の様子を報道していました。先生はそれを見るのが大好きで、
「今夜も残留孤児のを見て、泣いて、寝ようっと」
辛く苦しい戦後を生きた方の人生を見聞きし、涙を流すことが、ささやかな慰めになっていたのでしょうか。

どんなに辛く、悲しいニュースであっても、

「自分には関係ない。興味もない」
「まぁ、大変。自分でなくてよかった」
「かわいそうねぇ、あ〜大変だ、大変だ」
無関心だったり、おひゃらかしたり、楽しんだり。

「涙を流しながらも、心の奥ではドラマを見るように楽しんで見ている人がいるな」って、思ってしまいます。


人の悲しみや苦しみを、どうやって他人が共感できるんでしょう。
「同情するわ」なんて、かんたんに口にしちゃいけない。
震災や、原発事故や、津波のあと、いろいろな言葉が色あせ、安っぽく、しらじらしいものになってしまいました。

「まぁ、かわいそうに」
テレビの画面に向かって言っているうちは、安全で、平和な世界にいながら、まるで映画を見ているように悲劇を見ている傍観者です。

いつ、どこで、画面の向こう側に行ってしまうかもしれない。
それは明日かもしれない。
3.11のあの日、テレビのこっち側から、あちらに行ってしまった、
当事者にしかわからない、痛みです。
カテゴリ:店長の部屋 | 07:59 | comments(3) | trackbacks(0)
地震 震源に注意
tenki.jp

tenki.jp

初詣から帰ってきたら、いきなり地震。
最初は小さく揺れ、そのうちに大きくうねってきたので、これはいよいよ・・・・・と思いました。
震源を見ると、東海のきわどいところです。これだけ離れているのに、震度4がでています。

地震は3.11で終わったわけではありません。
カテゴリ:店長の部屋 | 17:39 | comments(0) | trackbacks(0)
I LOVE KAWAUCHI I LOVE FUKUSHIMA
ダンナと子どもたちは恒例の鐘突きに行きました。
鎌倉円覚寺の除夜の鐘をつくのが、わが家の毎年の行事です。もうすぐ今年も終わり。すべての厄を鐘の音とともに払い、新しい年を迎えたいと思います。



「音楽を聴いて涙を流したのは はじめてだよ」

「I love you & I need you ふくしま」猪苗代湖ズ をネットで聴いていたダンナ。

福島出身のアーティストでつくったバンド、猪苗代湖ズ。みんなみんな、がんばってたんだよなぁ、そしてそれが3.11ですべて失いつつある。
瀕死の福島を、どんな思いで見つめたらいいのか、わかりません。

「福島が好き」「川内が好き」
この思いだけはとめられない。

I love you ふくしま、I need you ふくしま

I love you かわうち、I need you かわうち
カテゴリ:店長の部屋 | 23:45 | comments(2) | trackbacks(0)
12月11日がもうすぐ終わります
12月11日。
あれから9ヶ月が経過しました。

震災のこと、原発事故のこと。いつもの生活の中では考えないようにしています。考えてもどうにもなりません。自分の力でどうにもできないことを、くよくよと考えてみても、暗い気持ちになるだけですから。

カフェ店長は、就職しました。
丸の内でOLをやっていたころから、20ウン年ぶりにOLになり、事務職で働きはじめています。

15年前に川内村に移住したとき、お金がぜんぜんなかったけれど、夢だけはいっぱい持っていました。
まだ私たち夫婦も若かったし、長男は4歳、お腹の中の次男は引っ越しから半月後に生まれて、毎日が新鮮でした。

3.11。都会に戻った私たちは無一文の状態で、夢すらなくしてしまいました。人間関係や家、薪などが田舎の資産です。それがあれば食べていけます。
暮らしの資産を福島に置いたまま、都会に戻っても、どうしようもありませんでした。

お金のために、時間を切り売りする、そんな暮らしになりました。

川内村の自宅が、いま、静かに朽ち果てていく音が聞こえるように思います。あの日のまま、人が暮らさない家は静かに死んでいくのです。

福島から避難している人としか、本音で話ができません。
「補償もらってるんでしょ」とか、「援助があるはず」と、人は言います。自分の守ってきたもの、暮らしのすべてが崩壊していく音が聞こえるもの同士でないと、わかりあえないように思います。

「がんばって」と言われるのが辛いです。
「大丈夫、元気ですよ」と答えるのがイヤだから。

村に残ってがんばっている人も、避難している人も、それぞれが、それぞれの立場で苦しんでいます。
放射能は見えないし、どんなものなのかわからないのですから。
それよりも、きょうの暮らしをどうするかで、みんなせいいっぱい。



いろいろな人と話をしていて、気づいたことがあります。
体が弱い人、持病のある人は、放射能について真剣です。体の不具合を抱えながら、病弱な体をいたわりながら生きる辛さを知っているからこそ、病気未満のなんとも訴えようのない体の不具合に翻弄される人生を想像できるからです。

体が丈夫で、病気をしたことがない人とは、病気や不具合とともに生きる人生を共感できないでしょう。
なにもなかったことにしたい。
わたしだってそう思いたいです。

5年後、10年後、どのようなことが起こるのか、誰にもわかりません。


でも、福島は、きょうをどうやって生きていったらいいのか、それすら考える余裕がない人がいっぱい。
明日のことを思うゆとりがないんです。



9ヶ月経ちました。
どうして、みんな、放りっぱなしなんでしょうか。
国が総力をあげて立ち向かうべき大きな問題なのに、川内村のような小さな自治体の、それぞれのがんばりにまかせっぱなしなんですか。村長も、役場の人も、疲れた顔をしています。被災した村の人の怒りは、身近な地域の人に向けられがちですが、本当の敵はもっと遠くで、安全なところにいるエライ人達です。どこの自治体も、公共機関も、被災した人の対応に追われる人たちは過労で倒れそうになってます。被災者を助けるのも、被災者です。

避難している人たちも、避難先の自治体がひねりだした予算で助けてもらっています。自治体によって、対応もなにも違います。なにもかにも、現場まかせだということです。
そしてこれが福島だけでなく、他の地域でも同じように見捨てられたまま。


震災も、原発事故も、津波も、自分のことではなくてよかったと思っている方、安心してはいけません。
いつもは「政府なんてさぁ〜」といって不満を言っているアナタ、それでも「お上がなんとかしてくれる」ってどこかで思っていませんか。
なんにもしてくれませんよ。誰もアナタを助けてくれない。それがこの国の実態だということを、忘れないで欲しいです。
カテゴリ:店長の部屋 | 23:55 | comments(2) | trackbacks(0)
これからの川内村、これからの福島県


川内村はこれからどうなっていくのか、復興計画を見ても、なかなか実感がわいてきません。

タオルを一度、雑巾にしてしまったら、もう二度と顔をふくことはありません。
どんなにきれいに洗って消毒したとしても、「汚された事実」を消すことはできませんから。

同じように、川内村、そして福島県も、二度と「安全・安心」を売り物にすることはできないでしょう。

写真は、カフェ・ダノニーの事務室。はじめて公開しました。震災の時、棚に置いてあった経理処理のファイルなどが全部落ちて、床に散乱していました。
「たのしい人生、たのしい家庭」
壁に貼ってある、社長の書き初めの言葉が哀しく見えます。



静かで穏やかな暮らしを取り戻したい。
ただそれだけのことが、限りなく贅沢な望みとなってしまいました。
カテゴリ:いままでのダノニー | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0)
11日金曜日 8ヶ月経ちました


あれから8ヶ月が経ちました。
11月11日 あのときと同じ、11日の金曜日です。

ひっきりなしに大きな余震がやってきて、地鳴りと揺れでろくに寝ることもできなかった夜。つけっぱなしのテレビから、津波の被害、原発の様子、住宅地の液状化、自宅に帰れない人たちの様子、ありとあらゆる混乱の様子が次々と映像で流れていました。



目の前で、カフェの店舗が土砂に押しつぶされていきました。
ラジオからは原発の事故についての第一報が流れ、展開のよめないドラマがはじまろうとしていました。



8ヶ月。
これからどうなるのか、まだなにもわからないままです。
写真は震災から3日経過したカフェ・ダノニーの店内。
カテゴリ:店長の部屋 | 23:28 | comments(6) | trackbacks(0)
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