12月11日がもうすぐ終わります
2011.12.11 Sunday | by danony
12月11日。
あれから9ヶ月が経過しました。
震災のこと、原発事故のこと。いつもの生活の中では考えないようにしています。考えてもどうにもなりません。自分の力でどうにもできないことを、くよくよと考えてみても、暗い気持ちになるだけですから。
カフェ店長は、就職しました。
丸の内でOLをやっていたころから、20ウン年ぶりにOLになり、事務職で働きはじめています。
15年前に川内村に移住したとき、お金がぜんぜんなかったけれど、夢だけはいっぱい持っていました。
まだ私たち夫婦も若かったし、長男は4歳、お腹の中の次男は引っ越しから半月後に生まれて、毎日が新鮮でした。
3.11。都会に戻った私たちは無一文の状態で、夢すらなくしてしまいました。人間関係や家、薪などが田舎の資産です。それがあれば食べていけます。
暮らしの資産を福島に置いたまま、都会に戻っても、どうしようもありませんでした。
お金のために、時間を切り売りする、そんな暮らしになりました。
川内村の自宅が、いま、静かに朽ち果てていく音が聞こえるように思います。あの日のまま、人が暮らさない家は静かに死んでいくのです。
福島から避難している人としか、本音で話ができません。
「補償もらってるんでしょ」とか、「援助があるはず」と、人は言います。自分の守ってきたもの、暮らしのすべてが崩壊していく音が聞こえるもの同士でないと、わかりあえないように思います。
「がんばって」と言われるのが辛いです。
「大丈夫、元気ですよ」と答えるのがイヤだから。
村に残ってがんばっている人も、避難している人も、それぞれが、それぞれの立場で苦しんでいます。
放射能は見えないし、どんなものなのかわからないのですから。
それよりも、きょうの暮らしをどうするかで、みんなせいいっぱい。
いろいろな人と話をしていて、気づいたことがあります。
体が弱い人、持病のある人は、放射能について真剣です。体の不具合を抱えながら、病弱な体をいたわりながら生きる辛さを知っているからこそ、病気未満のなんとも訴えようのない体の不具合に翻弄される人生を想像できるからです。
体が丈夫で、病気をしたことがない人とは、病気や不具合とともに生きる人生を共感できないでしょう。
なにもなかったことにしたい。
わたしだってそう思いたいです。
5年後、10年後、どのようなことが起こるのか、誰にもわかりません。
でも、福島は、きょうをどうやって生きていったらいいのか、それすら考える余裕がない人がいっぱい。
明日のことを思うゆとりがないんです。
9ヶ月経ちました。
どうして、みんな、放りっぱなしなんでしょうか。
国が総力をあげて立ち向かうべき大きな問題なのに、川内村のような小さな自治体の、それぞれのがんばりにまかせっぱなしなんですか。村長も、役場の人も、疲れた顔をしています。被災した村の人の怒りは、身近な地域の人に向けられがちですが、本当の敵はもっと遠くで、安全なところにいるエライ人達です。どこの自治体も、公共機関も、被災した人の対応に追われる人たちは過労で倒れそうになってます。被災者を助けるのも、被災者です。
避難している人たちも、避難先の自治体がひねりだした予算で助けてもらっています。自治体によって、対応もなにも違います。なにもかにも、現場まかせだということです。
そしてこれが福島だけでなく、他の地域でも同じように見捨てられたまま。
震災も、原発事故も、津波も、自分のことではなくてよかったと思っている方、安心してはいけません。
いつもは「政府なんてさぁ〜」といって不満を言っているアナタ、それでも「お上がなんとかしてくれる」ってどこかで思っていませんか。
なんにもしてくれませんよ。誰もアナタを助けてくれない。それがこの国の実態だということを、忘れないで欲しいです。
あれから9ヶ月が経過しました。
震災のこと、原発事故のこと。いつもの生活の中では考えないようにしています。考えてもどうにもなりません。自分の力でどうにもできないことを、くよくよと考えてみても、暗い気持ちになるだけですから。
カフェ店長は、就職しました。
丸の内でOLをやっていたころから、20ウン年ぶりにOLになり、事務職で働きはじめています。
15年前に川内村に移住したとき、お金がぜんぜんなかったけれど、夢だけはいっぱい持っていました。
まだ私たち夫婦も若かったし、長男は4歳、お腹の中の次男は引っ越しから半月後に生まれて、毎日が新鮮でした。
3.11。都会に戻った私たちは無一文の状態で、夢すらなくしてしまいました。人間関係や家、薪などが田舎の資産です。それがあれば食べていけます。
暮らしの資産を福島に置いたまま、都会に戻っても、どうしようもありませんでした。
お金のために、時間を切り売りする、そんな暮らしになりました。
川内村の自宅が、いま、静かに朽ち果てていく音が聞こえるように思います。あの日のまま、人が暮らさない家は静かに死んでいくのです。
福島から避難している人としか、本音で話ができません。
「補償もらってるんでしょ」とか、「援助があるはず」と、人は言います。自分の守ってきたもの、暮らしのすべてが崩壊していく音が聞こえるもの同士でないと、わかりあえないように思います。
「がんばって」と言われるのが辛いです。
「大丈夫、元気ですよ」と答えるのがイヤだから。
村に残ってがんばっている人も、避難している人も、それぞれが、それぞれの立場で苦しんでいます。
放射能は見えないし、どんなものなのかわからないのですから。
それよりも、きょうの暮らしをどうするかで、みんなせいいっぱい。
いろいろな人と話をしていて、気づいたことがあります。
体が弱い人、持病のある人は、放射能について真剣です。体の不具合を抱えながら、病弱な体をいたわりながら生きる辛さを知っているからこそ、病気未満のなんとも訴えようのない体の不具合に翻弄される人生を想像できるからです。
体が丈夫で、病気をしたことがない人とは、病気や不具合とともに生きる人生を共感できないでしょう。
なにもなかったことにしたい。
わたしだってそう思いたいです。
5年後、10年後、どのようなことが起こるのか、誰にもわかりません。
でも、福島は、きょうをどうやって生きていったらいいのか、それすら考える余裕がない人がいっぱい。
明日のことを思うゆとりがないんです。
9ヶ月経ちました。
どうして、みんな、放りっぱなしなんでしょうか。
国が総力をあげて立ち向かうべき大きな問題なのに、川内村のような小さな自治体の、それぞれのがんばりにまかせっぱなしなんですか。村長も、役場の人も、疲れた顔をしています。被災した村の人の怒りは、身近な地域の人に向けられがちですが、本当の敵はもっと遠くで、安全なところにいるエライ人達です。どこの自治体も、公共機関も、被災した人の対応に追われる人たちは過労で倒れそうになってます。被災者を助けるのも、被災者です。
避難している人たちも、避難先の自治体がひねりだした予算で助けてもらっています。自治体によって、対応もなにも違います。なにもかにも、現場まかせだということです。
そしてこれが福島だけでなく、他の地域でも同じように見捨てられたまま。
震災も、原発事故も、津波も、自分のことではなくてよかったと思っている方、安心してはいけません。
いつもは「政府なんてさぁ〜」といって不満を言っているアナタ、それでも「お上がなんとかしてくれる」ってどこかで思っていませんか。
なんにもしてくれませんよ。誰もアナタを助けてくれない。それがこの国の実態だということを、忘れないで欲しいです。