福島県 阿武隈高原 川内村のカフェ・ダノニーのブログ。東日本大震災で被災、原発事故により避難中。

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不登校だった息子が大学に無事進学
不登校で一年休学したこともある息子が、なんとか大学に進学しました。
震災、そして原発事故、避難生活と最悪の受験環境の中、息子ふたりが受験をするというとんでもない状況になり、親子でヘトヘトな一年間を過ごしました。

田舎でそこそこの成績だったものの、進学してからは劣等感にさいなまれ、自信を失い、ひきこもりになってしまった息子。
4歳で経験した田舎暮らしは、成長の過程で、過酷な生活を強いるものでしかなかったのかもしれないと悩んだこともあります。
どんな経験も自分の個性として受け入れていって欲しいと願っていたのですが、幸い、良い同級生に恵まれ、なんとか最後まで受験を乗り切ることができました。

生まれたときから、もののしくみ、ものづくりに興味を持ち続けている息子が、立ち直るきっかえになったのは「数ミリの折鶴」です。
小さな小さな紙を折り、鶴をつくった。紙の厚さを考慮し、シャーペンの先と指先で折ったのを見て、担任の先生が「この子はなんとかしたい」
ものづくりなら誰にも負けないという自信をはぐくんでくださったのでした。

まるで別人格になったように、ニコニコと大学に行く息子を支えているのは、高校三年での課題研究でつくったローバー機。
チームメイトと一緒につくりあげ、高校生でありながら大学のチームと混じって、伊豆大島無人観測ロボットシンポジウムに参加したことです。
このとき、自分のようなものが参加していいのかと不安になり、とうとう現地には行けなかったけれど、計算や整備で遠方から支援していました。
「まるでアポロ13のケン・マッティングリーみたい(風疹でアポロに乗れなかった宇宙飛行士。電力節約のシュミレーションをしてサポートしたヒト)」

ローバー製作は、息子の最初の一歩です。

ロボコンマガジン 2012年1月号
http://www.ohmsha.co.jp/robocon/archive/maga/1201/pdf/79_016.pdf

http://www.ohmsha.co.jp/robocon/archive/2011/12/robocon-magazine-20121.html

子どもの頃から愛読しているロボコンマガジンに、学校名と自分の名前が掲載されたんですから、うれしかったと思います。

論文のデータベースに掲載されています。


同じチームのメンバーのひとりは、推薦枠でそのまま大学に進みました。
一年のときからちゃんと勉強してれば、チャンスはあったのになぁ。
カテゴリ:店長の部屋 | 10:34 | comments(1) | trackbacks(0)
コメント
おめでとうございます! 一年の休学なんて、当人と周りは苦しいのでしょうが、もっともっと永い間苦しんでいる人たち(友人のお子さんたち)がたくさんいます。
 さて、川内村へ帰ってみるというお気持ちありませんか?
満月祭(今年は8月2日から)で友人のジャーナリストと映画上映をパオでやり、また我が別荘を第二会場として女性たちの話合い(男性も可)会などを開きます。福岡の女性活動家たちも[行きたい]って。フランス人女性で日本女性運動史研究家や、「女の新聞」編集者なども…。当のフクシマ(川内)の女性で語る人がいないと話にならないの。うちに泊っていいし。友人竹見さんは自作監督の「カタロウガン/ロラ達に正義を!」私は菊地文代制作「こつなぎ」を。菊地さんも、フクシマのこどもたちを伊豆に呼ぶプロジェクトが済んで間に合えば川内に行きたいって。会場で市川さんの本も売れるし…。
| hiroko | 2012/07/18 8:15 AM |
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